『氣』から始まった、旧字体の小さな旅

難しいややこしい書くの面倒やねん!と思っていませんか?旧字。

20年前の私
20年前の私

『氣』て使うようなったよね?

はな
はな

知人が使ってて元の漢字に意味を聞いたからね😉

それまではスピ的な感じや陰謀論的イメージで触れたくなかったけどね。

📖 読了時間:約10分
✅ 読むとわかること

  • 旧字体を知ると、漢字がちょっと違って見えてきた
  • 文字に込められてた本来の情景
  • なぜ「氣」を使うようになったか

「氣」は意識的に使っていたけど

普段の文章で『氣』という字を使っている。

「氣」の「米」には、食べ物や生命を支えるもののイメージがあるらしい――そんな話を知ってから、意識的に使うようになった。

といってもこういったプライベートな時だけで仕事などでは使わないけど(^^;
校正されちゃうし(笑)
それに拘り強いやつとかメンドクサイやつと思われるかもとかね。

その漢字の意味を知っているけどあえて『気』を使う。
知っているのと知らないのでは大きな違いがあると思ってる。

それで他にはどんな漢字があるんやろと調べてみた。

そしたら、どれも情景が浮かぶ、とてもきれいな字だった。
日本人で良かったなと思う🥰


巫女が祈る「靈」

今の「霊」からは、正直「幽霊」くらいしか思い浮かばへん。

でも旧字の「靈」を分解してみると、上は雨、下は「巫」=巫女。
口3つは儀式のための祝詞を入れる器を表しているという説もあるそう。

天に向かって祈り、清らかな力を地上に降ろす。そんな巫女の儀礼を表した字やった。

「霊」という響きに、なんとなく薄暗いイメージを持ってたけど、本来は真逆。神聖で、清らかな情景を映した字やったんやなと知って、見方が変わった。


ひとりでは学びにならない「學」

「學」も、成り立ちを知って驚いた字のひとつ。

屋根の下、両手を使い、人と人とが交わりながら学ぶ様子を表してる。

ひとりで黙々と知識を詰め込む姿じゃなくて、誰かと関わり合う中で学びが生まれる。そういう情景が思い浮かんだ。

考えてみたら、ひとりでは学びにはならへんもんな。他者がいて、はじめて学びになる。


骨格と豊かさを表す「體」

「體」は部首が「骨」。そこに「豊」を組み合わせた字。

一般的には骨が豊か、と説明されることが多いけど、『豊』という字自体は『』でも紹介しているようにもともと神様への供物を盛った器を意味していたことを考えると、體は”骨を芯とした、神聖な器としてのからだ“とも読み解けるかもしれない。
この肉体は神からの借り物という話もあるからね。

そして面白いのが、「体」はもともと全然違う意味の字やったということ。「劣る」「荒い」を意味する字が、12〜13世紀ごろから「體」の代用として使われはじめて、そのまま戦後に正式な字として採用された。

自分のからだを、日々「劣る」「荒い」の字で表現し続けてるって、ちょっとかわいそうな氣もする。
「體」と表現してあげたいと思った。

📝 コラム:「豊」という字の、もうひとつの顔

體や禮に共通して出てくる「豊」という部品。

今の「豊」は「豊富・ゆたか」の意味で使われてるけど、旧字体としては、高坏(たかつき、神様へのお供え物を乗せる台)に供え物を盛った様子を表す字やった。

體も禮も、この「豊」を通してつながってる。骨を芯として、神への捧げものである血肉を宿す「體」。神様へのお供え物を、神聖な台に捧げる「禮」。

同じ部品が、からだにも、儀礼にも、静かに息づいる。調べていてそんなイメージを得られた。

漢字ペディア


貝で囲われた「圓」

「圓」は、丸い枠(器)を意味する「員」に、さらに「囗(かこい)」を加えた字。

「圓」は、丸いもの、欠けたところのないものを表す字らしい。
「員」の中にある「貝」が貨幣を表していて……と思っていたけど、調べてみると、どうもそう単純な話ではなかった。

つまり「圓」は、価値あるものが枠の中に収まって、それをさらに囲む、という成り立ちの字。

これを知ったとき、なんだか自分のことみたいやなと思ってしまった。お金という枠の中に収まって、さらにそれに縛られてる、今のわたし(笑)

「円」になって画数はシンプルになったけど、成り立ちを知ってしまうと、なんとなく笑えてくる字やった。


境界を作った「國」と、育てる「藝」

「國」は、境界を設けた地域を武器で守るのを表した字。「国」は画数を減らすために、覚えにくい部分をシンプルな「玉」に置き換えただけ。

「藝」は、苗木を植えて育てる情景を表した字。一方で「芸」は、もともと「草を刈る」という全く別の意味の字。偶然同じ形になって、統合された。

「體」「圓」「藝」は「戦後に生まれた」というより、「もともとあった別の字・略字が、戦後に正式採用された」という成り立ち。氣・靈・學とは、少し違うタイプの変化やった。


「レイ」という響きに重なる、祈りの情景

「零」は「雨」+「令」。「令」はお辞儀をして神様にお願いする様子を表していて、雨と組み合わさることで「神様に願いが届いて、静かに雨が降り始める」情景を表してる。

そこから「こぼれ落ちるもの」「わずかなもの」、そして最終的に「ゼロ」の意味へと変化していったらしい。

「ゼロ」と聞くと、何もない、無、というイメージが浮かぶ。

でも「零」は違う。祈りが神様に届いて、静かに雨が降り始める瞬間。「何もない」んじゃなくて、「まだ何も形になっていないだけで、もう始まってる」。

同じ「0」を指す言葉やのに、こんなに情景が違うんやなと知って、驚いた。

ついでに「礼」も調べてみた。旧字は「禮」。「示(神様への祈りの台)」+「豊(お供え物を盛った器)」。神様へのお供え物を捧げる、神聖な儀礼の情景を表した字やった。

靈、零、禮。3つとも、祈りにまつわる字やった。

「レイ」という響きに、こんな情景が重なってたんやなと思うと、なんだか不思議な氣持ちになる。

(ゼロと「無」のイメージの違い、般若心経の「空」の話にも繋がっていきそうやけど、それはまた別の記事で)


おわりに

ひとつひとつ調べていくうちに、漢字ってただの記号じゃなくて、情景そのものなんやなと感じるようになった。

「旧字体って難しい」と思っていた。

でも実際には、

画数が多いから難しかったんじゃなくて、意味を知らなかったから難しく見えていただけ

「靈」を見て、
「なんか難しい字やな」と思っていたものが、
「雨+巫女」
と知った瞬間に、頭の中に情景が浮かぶ。

「學」も、
「なんやこのややこしい字」だったものが、
「教える・教えられる・まねる」
という意味を知ったら、急に親しみやすくなるし書ける。

「圓」に縛られてる自覚だけは、とりあえずできた(笑)

「意味を知ることで、文字の向こうに自分なりの情景まで見えてくる。でも、ときにはその情景が自分の感覚と合わないこともある。それも含めて、今回漢字を調べていて興味深く面白かった。

日常的に使っていこうと思った字はありました?

それぞれの変化のタイミング

漢字変化のタイミング補足
氣→気戦後(昭和21年、当用漢字表)「メ」への簡略化はこのタイミング
靈→霊戦後(昭和21年)同上
學→学戦後(昭和21年)同上
國→国戦後(昭和21年)同上
體→体もっと古い(12〜13世紀頃)俗字として先に広まってて、戦後の当用漢字表で正式採用されただけ
藝→芸これも実質もっと古い「芸(ウン)」自体は昔から別の漢字として存在してた。戦後に「藝」の代用として正式に統合されただけ
圓→円これも古い可能性あり「円」自体は昔から異体字・略字として使われてた形跡がある。戦後に正式採用されただけ

参考にさせていただきました。


https://name.sijisuru.com/Moji/origin/%E9%9C%8A

https://asp.schoolweb.ne.jp/2310035/weblog/23356274
https://minkan.co.jp/kanji/%E5%AD%A6/


https://www.kanjipedia.jp/kanji/0004428700
https://kanjibunka.com/kanji-faq/jitai/q0188/ 省略のされ方の遍歴の解説が面白い

https://okjiten.jp/kanji194.html

https://www.mindmap-school.jp/blog-facebook-20200113-mindmap-of-art/
https://www.gp.tohoku.ac.jp/pol/pol/hanawa/ori/contents/188.html